☆特別コラム☆畑中千晶 BLコミックス『囀る鳥は羽ばたかない』と『男色大鑑』の共通点
TweetBLコミックス『囀る鳥は羽ばたかない』と『男色大鑑』の共通点
畑中千晶
目次
1. 稀代のストーリーテラー
2. 命を差し出す「攻め」
3. 構図の美学
4. サムライ百目鬼の原型
・・・・・・・・
1. 稀代のストーリーテラー
--センセ、ここ一年くらい、ずっとハマっているBL漫画があるそうですね。何という作品ですか。
ヨネダコウ先生の『囀る鳥は羽ばたかない』(大洋図書、以下『囀る』)です。この2月に映画『囀る鳥は羽ばたかない The clouds gather』が公開されて、今、話題になっています。読者のWeb投票で選ばれる「ちるちるBLアワード2020」では、「シリーズ部門」第1位、「受部門」第1位、「攻部門」第2位に選ばれました。昨年5月にコミックス第6巻が出ています。あまりに深く心とらわれたので、第7巻刊行まで待てず、今は『ihr HertZ(イァハーツ)』(大洋図書)という雑誌で連載を追いかけています。
図1 『囀る鳥は羽ばたかない』第1巻表紙 ©ヨネダコウ/大洋図書
--BLファンの間では有名な作品ですが、BLになじみがない人だと、作品のことを知らない人もいると思います。改めて、どのような作品か教えてください。
もう、好き過ぎて、一言で語るのが難しいのですが......もともと、この作品に興味を持つキッカケとなった溝口彰子先生の言葉を引用すると......ヤクザの世界を「メタ的に批判し、批評する視点を持ち得」た作品で...(雲田はるこ /紗久楽さわ /溝口彰子『BL進化論 セクシュアリティの歴史、BLの未来』(取材・構成:的場容子)「萌えの新境地!「月代(さかやき)男子」」2019年11月27日公開)。
--メタ? 批評? む、むずかしい......つまり......ヤクザを褒め称えてるわけじゃない、ってことですか。
そう! そうです! 主人公の一人・矢代という男は----この1巻表紙の美しい人が矢代ですが----ヤクザの若頭なんですね。でも、ヤクザの世界に居続けたいと思っているわけではない。と言って、ほかに生きる道があるわけでもなく、また、若頭にまで出世したということは、それなりの才覚と後ろ盾を持っていたということでもあります。
--なんとなく、矛盾を抱えた人のようですね。
まさに! 自己矛盾を抱えて生きる人です。そして、生い立ちゆえに、男性に抱かれることに依存する傾向があります。
--「受け」ですね。こういったタイプはMであることが多いですよね。
はい、矢代は、周囲の人間から「ドMで変態、淫乱ネコ、幹部の公衆便所」というレッテルを貼られています。
--強烈なキャッチコピー!
ええ、矢代自身が、そのように自己演出していますから。そして読者も、初めはそうした派手な惹句に目を奪われがちです。でも、次第しだいにその仮面が剥がされていって、矢代の無垢な内面が露わになっていく、そんな仕掛けがあります。
--「受け」については、イメージがつかめてきました。「攻め」はどんなタイプですか。
一見すると、矢代とは正反対の人です。矢代より11歳も若い25歳、寡黙で滅多に笑うこともなく、190センチの長身で、筋骨たくましい男です。矢代も178センチと背丈はありますが、細身で上品な佇まいの男なので、二人が並ぶと体格差萌えがあります。
--近くにいたら、威圧感のありそうなタイプですね。
はい。苗字も百目鬼と言って、強面な感じですね。この人が付き人兼用心棒として矢代のところに来るところから、物語が動き始めます。でも、百目鬼もまた、家庭環境に事情があって、性的に不能である、という設定なのです。
--「淫乱」な受けに対して「性的不能」の攻め! すごい取り合わせですね。
そこが、ヨネダ先生の素晴らしいところですね。巧みなバランス感覚であり、実は、西鶴にも通ずる感覚です。
--お、ようやく本題に近づいてきました。
はい。ヨネダ先生も西鶴も、稀代のストーリーテラーだと思います。
--稀代のストーリーテラー! 読者を惹きつけて離さない、そうした話術をお持ちだと。
ええ。情報をすべて語り尽くさず、あえて抜くことで、読者の想像力を掻き立てるところも、西鶴とヨネダ先生のよく似ている点です。西鶴研究では、俳諧用語を転用して「ぬけ」の手法などと呼ぶことがありますが、この「ぬけ」、つまり、情報の空白こそ、読者を惹きつけてやまぬものになるのですね。ヨネダ先生の場合は、「萌え」のために、あえて大切な一瞬を「抜く」ということをされています。
--そして、バランス感覚という共通項もあると。
はい。西鶴も優れたバランス感覚を発揮しています。例えば『好色五人女』の八百屋お七の話。美男の吉三郎と美女のお七の悲恋として知られていますが、西鶴の描いたお七は----これが、のちの時代、繰り返し演劇化されていく際の原型になるわけですが----男女の恋愛ものと言い切ってよいか、ちょっと微妙なんです。
--えっ、どういうことでしょう?
というのも、男女の悲恋だけを描くなら、お七が処刑され、花の命を散らしたところで美しく終えたほうが、話としてわかりやすいのですね。
--そうではないと?
はい、お七亡きあとの吉三郎の人生を、さらに描いていきます。しかもですね......お七とはなんの関係もない、そして......こう言ってはなんですが、お七よりもはるかに深い関係を、吉三郎と結んでいる兄分が存在していたことを、お七死後に明かしていくんですね。
--そ、それは!(ゴクリッ)
あ、あ、そんなに身を乗り出さなくても大丈夫。はい、そうです。美しい武家若衆である吉三郎には、当然のごとく、思いを交わし合った兄分がいたのですね。衆道関係です。
--じゃあ、お七は......?
そこが、吉三郎の心引き裂かれるポイントになるわけですね。江戸時代の言葉で言えば、吉三郎の中に、女色(女性との性愛)と男色(男性との性愛)の二つが共存していたということです。
--『五人女』というタイトルなのに、ですか?
はい。そこが西鶴の面白いところでもあるし、非凡なストーリーテラーであることを示しているのだと思います。あと、その逆もありますよ。
--逆、と言いますと......
男色文学の総本山のように思われている『男色大鑑』のことです。
--男色なのに女色、ということでしょうか?
そうです。この作品の中にも、女色がゼロじゃないんですね。比率からいけば、さすがにわずかですが、それでも、女色がかなりエロティックに描きこまれています。あと、思っているよりはるかに多く女性たちが登場し、しかもそれらが皆、揃いも揃って美女なんですね。
--はぁ...... 『男色大鑑』なのに女性が出てくると......不思議な感じもしますが、それが、つまるところ西鶴のバランス感覚であると......
はい、私はそう思っています。
2. 命を差し出す「攻め」
--ところで、『囀る』と『男色大鑑』は、時代や設定の違いを超えて、実は似通った特徴があると、以前チラとお話が出たように記憶してるのですが......
え、そんなこと、私、言いましたっけ......
--とぼけないでください、センセ。今日はそれが伺いたくって、こうしてインタビューの場を設けたんですから! それをお聞かせいただかなくては、帰るわけにはまいりません(キリッ)
わかりました、わかりました。どうか、落ち着いて...... ええっとですね。まずは、『囀る』の中でも絶対に忘れられない重要シーンを見ていただきましょうか。まぁ、全ページが重要シーンなんですけどね......不要なコマは一つもないというのが、ファンの共通理解ですから。こちらです。
図2『囀る鳥は羽ばたかない』第6巻 p. 122 ©ヨネダコウ/大洋図書
図3『囀る鳥は羽ばたかない』第6巻 p. 124 ©ヨネダコウ/大洋図書
--うわー! ハードですね! 銃口を額に突きつけてますね!!
ええ、立っているほうが矢代、腿を撃たれて跪いてるのが百目鬼です。抗争の決着をつけるべく、満身創痍(すでに3発被弾)の矢代が単身で組長との対決に向かおうとするのですが、百目鬼が、振り捨てても振り捨てても、全力で矢代を追い続けるのですね。このシーンの直前までは付き人でした。矢代は百目鬼をカタギに戻したいと考えており、百目鬼をクビにします。それでも百目鬼は、矢代を守り抜くことが自分の使命だと寸分も疑わない......そして漢気あふれるこのセリフ「あなたを守るために使うと決めた命です」が出てくるのですね。ハアァ痺れます、クウゥ......
3. 構図の美学
--センセ、センセ、戻ってきてください。
......っ...ああ、失礼しました。ちょっと百目鬼の魅力に酔いしれてました。とにかく、この腹の括り方が、なんとも言えずカッコいいし、愛する男の手に自分の命を委ねるなんて、百目鬼は、もうほとんど武士と言ってもいいんじゃないかと思ったんですね。剣道も得意だし、まさにサムライ......
--サムライ、ですか。
...えっ、ええ......まぁこの場面だけを見ていても、ちょっと説明が難しいので、もう一つ、ご覧に入れましょう。これは『男色大鑑』巻3の5「色に見籠むは山吹の盛り」の挿絵です。『男色大鑑』には美しい挿絵が多く入っていますが、その中でも一押しの名場面です。
図4 『男色大鑑』巻3の5「色に見籠むは山吹の盛り」の挿絵
--わぁ、綺麗な挿絵ですね! しかも、座ってる男性が結構イケメン......
そうですね......二人とも美形です。刀を手にしてるのが奥川主馬、跪いて振り返っているのが、田川義左衛門(以下、義左)。主馬は、殿様付きの小姓です。当然ながら兄分を持つことは許されていません。義左は、もともとは四国一と言われた美少年でしたが、成人し、江戸に出て、挫折を味わいながらも再び武士として生きていく道筋が見えたちょうどその春に、偶然、主馬を見かけて恋に堕ちるのです。一目惚れってヤツですね。以後、せっかく手に入れた地位を投げ打って、ひたすら主馬のあとを追い続けるのです。
--なんと一途な!
そうですね。一途というか、盲目というか......。しかもその期間なんと三年も! この三年という時間、ちょっと覚えておいてくださいね......。主馬は殿の参勤交代に付き従って国元と江戸を往復します。義左はその主馬を追うので、ひたすら長旅を続けることになります。しかも、遠くから一心に見つめても、恋しい人の顔が見られるのは、年に一度あるかないかの一瞬だけ。その一瞬でも主馬が微笑んでくれさえすれば、もうそれで満足なんですね。当然ながら収入も途絶えます。しまいには物乞いにまで身を落とし、主馬の家の前で、明日をも知れぬ命になるのですよ。
--なんとまあ......最初、正直言ってこりゃあストーカーかと思いましたが、遠くから拝むだけなんて、もうほとんど、推しに全人生を捧げるオタクそのもの、って感じですね。なんだか親近感が湧いてきました!
はい。決して、近づこうとはしないのです。でも、さすがに主馬も気付くのですね。そして、自分に一途な思いを寄せていること、今は物乞いにまで身を落としているが、もとは武士であったということまで見抜きます。
--なんと聡い! 美少年というだけでなくて、人の心がわかる男の子なんですね!
ええ、若衆たるもの、見た目の美しさもさることながら、それよりも重視されたのは、情けの深さです。これは、相手の心情をよく汲み取る感受性を持っているということでもあります。
--それで、なんで主馬は刀を手にしてるのですか。
はい、これは、刀の試し斬りをしようとしたところなのですよ。主馬は、殿様付きの小姓ですから、他の男と気軽に会うことはできない立場です。でも、物乞いにまで身を落とした男のことが気になって気になって仕方がない。それで、一計を案じ、刀の試し斬りをさせてくれと家来を通じて申し出たのですね。ただ、すぐには殺さない。まずは、義左に衣食を充分に与え、身綺麗にさせて、十日を経たのち、ついにその日を迎えたのです......ちなみに、主馬は三十日を提案したのですが、義左が十日で良いとしたのですね。とにかく潔い男です。そして、恋しい人の手にかかって死ぬ......これ以上の死に様はないと、一切の迷いもなく喜んで首を差し伸べるのです......「私に命をくれるという言葉に嘘はないか」「どうか、お手打ちに」。そして、いよいよ白刃が閃き、義左の首に振り下ろされ......
--あー、そこまでそこまで、私、痛いのダメで......
あ、大丈夫ですよ。義左の首に振り下ろされた...かと思いきや、義左の首は繋がったまま......実は、刃はすべてつぶしてあったのです。
--えっ、では、義左は殺されずに済んだんですか。
はい。不審に思う家来たちをすべて遠ざけたのち、主馬は義左に、あなたはもとは武士であろうと問いつめるのです。義左は、隠そうとします。いやいや、嘘をおっしゃるな。あなたは私のことを想っていてくださったはず。と問い詰められ、ついに恋心を明かす義左。
--気持ちが一杯いっぱいになりそうですね...
急に幸せが押し寄せると、脳内がショートしてしまうでしょうからねぇ......ちなみに、一昨年(2018年)の4月25日、NHK歴史秘話ヒストリア「生きた、愛した、ありのまま」で本話が紹介された時には、森川智之さんが義左の声を演じてくださったのですね。台本に指示のなかった息遣いを森川さんのご提案で入れたとのこと。首を斬られる、と思った次の瞬間、首は繋がったままだとわかって、思わずフッともらした息遣いが、ものすごくリアルでした。
--それは、ぜひ見てみたいです。
ぜひぜひ。神回と言われ、ヒストリアで3本の指に入るほど反響があったそうですよ......で、そうしたストーリーを知った上で、改めてこの挿絵を見てみますと、刀は脇に下ろされ、二人が目と目を見交わしてますね。これは、刀の試し斬りというのが口実に過ぎなかったとわかり、互いの胸の内を明かす、その瞬間を切り取ったものだということです。
--この絡み合う視線は二人の思いが通じた瞬間であると!
そういうことです。さらに、次の図をよくご覧ください。画面に対角線を引いたものなんですが、二人の視線は、対角線と見事に平行なのですよ。画面に美的効果が生まれているのですね。見れば見るほど、美しい挿絵です。
図5 『男色大鑑』巻3の5「色に見籠むは山吹の盛り」の挿絵(加工あり)
--ほんとですね! 二人の絡み合う視線が対角線と平行だなんて! 見ていて心地よい感じがするのは、そのためでもあるのですね。
それで、先ほどの『囀る』のコマをもう一度、見てみますと、やはり対角線が効果的に使われているのがわかります。
--ほんとだ!
しかも、受けが武器を手に優位な姿勢を取り、攻めが跪いて潔く自らの命を差し出す、というところまで、主馬と義左の関係性によく似てるのです。
--な、なんと! ただ、センセ、江戸時代に攻め×受けという表現はないですよね...
はい、もちろん。兄分と若衆ですね。今は分かりやすくBL用語で説明しました。しかも、似ているのは、実はこれだけじゃないんですよ。
--えっ、まだあるんですか。
はい。矢代は百目鬼を撃ちますが、それは命を奪うためではなく、むしろ百目鬼の命を守るための苦渋の決断だったのですね。そして、主馬も義左の首にひとたびは刃を当てますが、それは義左を、あるいは義左の心を救うための行いだったのです。つまり、主馬も義左も、相手のことしか思ってないのですね。矢代と百目鬼もそうです。見る者を凍りつかせる暴力的な振る舞いが、この上もない愛情を取り交わす仕草でもある......という点がよく似ているのです。
--......なんてエモいんでしょう! ちょっと言葉を失いました。
4. サムライ百目鬼の原型
まだ、ありますよ。
--そうなんですか。
はい。先ほど、義左は三年の月日を費やして、主馬を追い続けるという話をしましたね。その間、義左は辛酸を舐めます。そして『囀る』の矢代と百目鬼は、この命の瀬戸際をくぐり抜けたあと、いったん離れ離れになるのですね。矢代が百目鬼を完全に遠ざけたためです。百目鬼は、まだ厳密には組員ではなく、母と妹の待つカタギの世界に戻ることも充分できたのです。でも、戻ろうとはしなかった。矢代のいる世界に、自分の意思で留まり続け、辛い思いをしながらも、再び矢代との接点が持てる時を辛抱強く待つのです。それが、なんと四年も!
--おや、義左より一年長い!
そうなんです。愛する人のそばにいたい、でも、近づくことは許されない、という孤独な苦しい時間を辛抱強く耐え抜く根性、愛しい人に自分の命を預けて一片の悔いなしという潔さ、これらの点で、義左と百目鬼は見事に重なるのですよ。百目鬼こそは「現代に蘇った義左」と言ってもいいかもしれません。
--ああ、なるほど! それで先ほどサムライとおっしゃったのですね。よくわかりました。
ここから先の説明は、 やや 慎重さが 必要 になりますが ............ 私は別に、 ヨネダ先生が西鶴を下敷きにして創作された、ということを言いたいわけではないのです...... もちろん、過去にお読みになってるかもしれないし、この話がお好きという可能性だって、ゼロではないとは思いますが。ただしそれは、使おうと意識されて使うというようなレベルのものではなくて、血肉に染み込んだエッセンスがにじみ出てきたというようなレベルでのお話だろうと思います。
--なるほど......影響関係そのものを問題にするというのではないと。
はい。それよりも、現代の読者を魅了してやまない強烈なキャラクターの、ある種の原型が『男色大鑑』にすでに登場してきているよ、ということをお伝えしたいのです。つまり、『男色大鑑』には、現代の読者が萌えやエモさを感ずるような、さまざまな設定やキャラクターが、これでもかと詰め込まれてるんじゃないか、ということです。もちろん、まだ、充分に読み解けてない話もたくさんあります。
--そうなんですね。まだまだ「掘れば掘っただけ」さまざま出てくると......
今、ウマいこと言ったと思ってません?
--えっ、バ、バレました? まあ、ワカシュケンですから、そのあたりは......
ええ、精鋭揃いのワカシュケンですので、その英知を結集して読み解いていけば、まだまだ、新しい発見があると思います。『JUNE』と『男色大鑑』との接点のお話も、ワカシュケンメンバーには詳しい方がいらっしゃいますので、
--それは楽しみです。ワカシュケンは、知的興奮と萌えが同時に味わえるからいいですね。
ええ、皆さん実に楽しそうですよね。好きなものについて語る、考える、というのは、やはり心楽しい時間! 心も頭も活性化されます。
--今の危機が去って、研究会が早く開けるようになるといいですね。
そうですね。まずはWebミーティングから、でしょうか。
--どうせだから、好きなお酒とおつまみを用意して。
あっ、それがいい。さっそくやりましょう!
〈了〉
執筆:畑中千晶【エア(セルフ)インタビュー】
ーー 本稿のWeb公開に当たり、『囀る鳥は羽ばたかない』の書影・
ーー また、『男色大鑑』巻3の5「色に見籠むは山吹の盛り」の話は、
ーー 西鶴の挿絵は「西鶴浮世草子全挿絵画像CD」(『