「西鶴戯作者」論争の原点は文学史にあったのではないか。(中嶋隆)

第三十八回 西鶴研究会・中野三敏氏[講演]「西鶴戯作者説再考」/広嶋 進氏「『西鶴置土産』神話の形成―無視された青果戯曲―」(2014年3月27日(木)、青山学院大学 総合研究ビル10階会議室)では、中野三敏氏の講演に関して、当日の議論が深まるようにということで、事前に「意見、感想」を募っています。本投稿はその第四弾です。以下お読みの上、ぜひ第三十八回 西鶴研究会にご参集下さい。お待ちしております。
第一弾●「その先」を考えるのはいけないことですか―中野三敏氏「西鶴戯作者説再考―江戸の眼と現代の眼の持つ意味―」への共感と疑義 (篠原 進)
第二弾●「西鶴戯作説」の議論に望みたいこと ―司会者の立場から―(有働 裕)
第三弾●「近世文学会」的な、あまりに「近世文学会」的な!(木越治)
第四弾●『西鶴戯作者説再考』寸感(堀切 実)

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「西鶴戯作者」論争の原点は文学史にあったのではないか。
●中嶋隆

 昨日、パリ・ディドロ大学でのシンポジウム「江戸時代初期の武家の表象」が終わりました。日・仏・米・露・英から参加した研究者が西鶴武家物を中心に、活発な議論を展開しました。私以外は、英語の発表、質疑応答も英語。私が日本語で質問すると、日本語で答えてくれるというシンポで、ほとほと疲れました。私も、臆せず質問しましたが...。
 21・22日に、パリ・ディドロ大学とINALCOで開催されるシンポ「詩歌が語る源氏物語」にも顔を出すつもりですので、帰国が24日になります。篠原・有働・木越諸先生の御意見を、ネットで拝読して、私も議論に参加したいと切に思いました。しかし、コピーして持参した「西鶴戯作者説再考」以外、手元に論文・資料がありません。かといって帰国後の投稿では時期を失すると思い、かつて読んだ中野先生の御論考の記憶をたどりながら、意見を述べます。的外れなところがあるかもしれませんが、諸事情を勘案してご海容いただければ幸甚です。ただ、自分の論文については、USBメモリーに入っておりましたので、そこから引用することが出来ました。手前味噌ですが、その点もご容赦ください。
 ここまでは前口上です。私も、木越先生に倣い、レトリカルな叙述は避けて、論理的問題として、私見を述べることにします。(3月14日記)
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 『文学』に掲載された論考のタイトルは「西鶴戯作者説再考(副題略)」である。しかし中野三敏氏の当初問題提起されたのは、近世俗文芸のルーツは西鶴作品にあるという文学史観だったのではないか。かつて中野氏が谷脇氏らと交わした論争が、いささか中途半端に終わったのは、研究者の作者観や文学観がすれちがい、文学史をめぐる論争にならなかったからだと、私は考える。
 現在、この問題が再燃しているが、以下の三点が混乱したまま「西鶴は戯作者か否か」というふうに単純化して論じられているために、また論争が徒労に終わる可能性が高い。
 ①近世文芸(俗文学)の始原を西鶴作品とすべきか。【文学史の問題】
 ②西鶴を、近代的側面をもった作家ではなく、戯作者とすべきか。【作者の問題】
 ③西鶴作品を、近代主義的に解釈できるのか。【作品解釈の問題】
 中野氏に対する今回の篠原氏の反論は、主に②と③についてだったようだ。研究者の西鶴への対峙は、作者・作品を論ずることが王道なので、私は、この点について批判しているわけではない。ただ率直に言って、暉峻西鶴の反措定からか、「作品は面白く読めればいい」という作品(表現)論を徹底させて、文学史的視点をかえりみなかった谷脇氏の姿勢が、前回の論争を実りのないものにした一因があったと考える。
 まず、①の立場から、中野氏を批判したい。批判というより、西鶴作品が江戸時代小説の始原に当たるという点では、私は、もともと中野説に賛成している。が、この説は中野氏自身も自覚しておられるだろうが、氏のオリジナルな説ではない。
 西鶴に続く浮世草子作者が西鶴作品、とりわけ『好色一代男』を好色本の元祖(『元禄大平記』)とするような認識は『和漢遊女容気』『好色十二人男』等、枚挙にいとまない。浮世草子作者だけではなく、滝沢馬琴も『燕石雑志』で「人々今日目前に見るところを述べて、滑稽を尽す事は西鶴よりはじまれり。さはれもつはら遊廓のよしなし事のみ綴りて、その書猥雑なりしかば、世の謗を得脱れず」と述べる。このあと、趣向の点では八文字屋本のほうが勝っているという叙述が続くのだが、馬琴は、戯作の始原を西鶴と考える一種の文学史観を示していた。
 私が『燕石雑志』を引用しながら「筆者は、馬琴の言う西鶴から人情本にいたる小説類―浮世草子・談義本・洒落本・滑稽本・人情本―が近世小説の本流をなしていると考える。この流れは現実の再現を志向する理念に直截にかかわる小説の一群である」(「仮名草子・浮世草子における〈小説とは何か〉「日本文学」38・8 『初期浮世草子の展開』所収)と述べたのは、平成元(1989)年のことで、中野氏説の登場より、はるか前のことだ。
 中野氏が私の論文を(今でも)読んでいないことを、とやかく言っているのではない。私は、「現実再現(representation)」を作者の認識の問題としてではなく「(作者は)当時一般的であった文芸様式を通して現実を知覚している」という立場から、「西鶴を始原とする近世小説群」を、通時的に説明しようとした。が、拙論は結局、仮名草子・浮世草子までの現実再現に終始してしまったため、「戯作」にまで論及できなかった。
 私が「西鶴=戯作者」とする中野氏に求めるのは、そういう文学史を展開するのなら、中野氏自身の措定する通時軸を明示すべきだという点である。
 当初の中野氏の論の展開には、失礼ながら、かつて森銑三氏が『好色一代男』以外は西鶴作品ではないと主張された「論考」と似ているところがあった。論理が直感的すぎて、論争のしようがなかったのだ。だから、私は沈黙した。
 繰り返すが、私は西鶴作品が近世小説の始原であるという点では、中野氏説に賛成である。ただ、文学史は、研究者が自分の視点から、作品という文化表象を再構築する作業である。誤解を招く言い方かもしれないが、「文学史」という物語を創造することなのだ。私には、十数年前の中野氏の主張には「文学史」が見えなかった。
 今回の「西鶴戯作者説再考」では、「現実の全肯定(政治批判・権力批判がない)」「表現第一主義」「教訓と滑稽を第一義」という三点の通時軸が提示された。この点は評価すべきであるが、私が批判したいのは、この三点は、中野氏の作品解釈通じた「読み方」であって、文学史の通時軸として措定するには妥当性を欠いているということである。「読み方」である以上は、篠原氏が反論されたような「読み方」も可能である。元来、作品の読解に、一つの正しい読み方があるはずがないのだから。
 私は、作品解釈に作家的視点を持ち込まないという立場である。これまで何度も主張してきたが、作品解釈によって西鶴像を想定し、その作者像から作品を分析しても、論理のアポリアに陥るだけだからだ。
 「江戸の眼と現代の眼」双方を持つことが必要だとされる中野氏は、読み方が相対的なものだという自覚は持っておられるようだ。しかし、「西鶴が近代主義的意味で政治批判をする意図をもっていない」と論旨を展開されるに及んでは、②作者の問題と③作品解釈の問題とを混同し、さらに、それを③文学史の問題に横滑りさせていると言わざるをえない。
 そうではなく、江戸時代小説(氏のいう「戯作」)全般のなかに西鶴は位置づけられるからだ、と中野氏が考えておられるなら、文学史の問題としてそう主張し、論を展開すべきである。
 そもそも、文芸には、その時代の文化構造が反映される。文学史としてみるのなら、元禄期と天明期という異なった文化構造のもとで成立した文芸から、共通する要素を「戯作論」として抽出することに無理があると、私は考える。
 誤解を招くといけないので申し添えるが、文学史の通時軸として「批判性」「表現」「教訓・滑稽」を措定することが悪いと言っているのではない。江戸時代小説(中野氏のいう「戯作」)には「政治批判・権力批判がない」「表現第一主義である」「教訓・滑稽を第一義とする」というふうに、文化表象という現象を論ずるのに本質をもってするような断定が、文学史の可能性を狭めていると言っているのだ。中野氏は、江戸時代小説を、文化構造に応じて変化するものとして把握していないようだ。そこに問題があると私は思う。