『西鶴戯作者説再考』寸感(堀切 実)

第三十八回 西鶴研究会・中野三敏氏[講演]「西鶴戯作者説再考」/広嶋 進氏「『西鶴置土産』神話の形成―無視された青果戯曲―」(2014年3月27日(木)、青山学院大学 総合研究ビル10階会議室)では、中野三敏氏の講演に関して、当日の議論が深まるようにということで、事前に「意見、感想」を募っています。本投稿はその第四弾です。以下お読みの上、ぜひ第三十八回 西鶴研究会にご参集下さい。お待ちしております。
第一弾●「その先」を考えるのはいけないことですか―中野三敏氏「西鶴戯作者説再考―江戸の眼と現代の眼の持つ意味―」への共感と疑義 (篠原 進)
第二弾●「西鶴戯作説」の議論に望みたいこと ―司会者の立場から―(有働 裕)
第三弾●「近世文学会」的な、あまりに「近世文学会」的な!(木越治)
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『西鶴戯作者説再考』寸感
●堀切 実

 中野三敏さんの『西鶴戯作者説再考』を読み、中野さんの意図するところが今までよりはっきりと伝わってきて、いろいろと啓発されました。けれども同時にまた私なりにいくつかの疑問を感じた点もありました。
 まず、従来の近代主義一辺倒による〝文学〟としての西鶴の読みからの脱却が、中野さんの説の根底にあることが明確に提示されていますが、この点は、これまでの諸論考から考えても容易に推測することが出来ていました。近代において〝文学〟とは、どうしても「小説」が中心であり、近代文学史はイコール近代小説史でありました。したがって、〝文学〟を論ずることの基準は、その「近代小説」が果たしてきたわけですが、じつは「小説」の歴史というものは、日本では百三十年ぐらい、西欧でも十九世紀の小説黄金時代から二百年余り、十七世紀の『ドン・キホーテ』に起源を求めても四百年ぐらい、「小説」は決して〝文学〟の絶対的な主流ではなかったといえましょう。現代ではもはやその地位はシナリオなどを通した映像文化に取って代わられつつあります。ですから、われわれが無意識に〝文学〟を読む場合の尺度としてきた「小説」――その「小説」観そのものが揺らぎかねない状況にあります。江戸時代の西鶴を読む場合、そうした「近代小説」観を基準とすることは明らかに誤りなのであって、中野さんの立脚点はよく理解できます。ただ、その西鶴作品と「近代小説」との間に重なる要素が全くないかというと、そんなことはない気がします。
 さて、今回の中野さんの論文では、二つの点で、私などを納得させてくれるものがありました。その一つは「戯作」とは何かについての定義です。従来、「戯作」とは江戸中期以後の江戸の小説――読本・黄表紙・洒落本・人情本・滑稽本などを一括した呼称であり、それらからの例文を多く示して説いた中村幸彦さんの『戯作論』(1966年)が、一種のバイブルのように信奉されてきていました。しかし中野さんの「戯作」の定義は、これをかなり拡大したもので、その定義を三箇条に集約して明示してくれました。むろん、これまでの中野さんの発言から、かなりの程度は認識してきたことですが、こうして具体的に提示してもらえれば、もう〝西鶴戯作者説〟について議論の余地はないようにも思えます。中野さんがはじめて名古屋の近世文学会大会で「一代男」を扱って自説を口頭発表されたとき、隣の席にいらっしゃった神保五彌先生が「西鶴は戯作じゃないよ」とつぶやかれたのが、私の耳に残っているのですが、その後、この問題で論争(?)を重ねてきた谷脇理史さんともども、もっと早くこうした定義を示してくれたらと、悔やまれてなりません。
 ただ、私からみると、戯作の本質としての三箇条は、基本的には正しい方向を示していますが、その内実については、もっと吟味してゆく必要があるのではないかと思われます。まずその第一、
(一) 思想的には現実の全肯定をその核とし、現実批判・権力批判・政治批判は全く含まない。
 ここで中野さんは、その「批判」的な要素について、西鶴作品にも、むろん、それに相応するような記述を見出すことはできようがと注しながら、それを決して「近代主義的な文脈」で読んではならないことを強調しています。そして、その「批判」的要素は、中野さんのいう「近世的自我」に裏づけられる範囲で許容されるべきものだという見解を示します。社会や現実に厳しく対峙するのが「近代的自我」であるのに対し、社会や現実を信じ、社会の支配層にあくまでも自らを委ねてゆくのが「近世的自我」だということでしょう。
 たしかに日本の近代は、個々の人格が「自我」に覚醒し、「自我」を追究してゆく歴史でした。日本の近代文学史も、矢崎弾の名著『近代自我の日本的形成』(1943年)に論じられたように、江戸時代のそれをそのまま継承した明治期の家族法に代表されるような古い制度と体質を打破して、「自我」を確立してゆく姿を一貫したテーマとしてきました。わが国独特の「私小説」というスタイルもその典型でした。そして昭和期に入ると、もう一歩進んで「社会化された私」を模索するようにもなりました。けれども、「自我」の本質は、時代によって変化したり推移するものではないと私は思います。かつて小林秀雄が『歴史と文学』(1941年)のなかで述べていることですが、江戸時代の人たちは、〝江戸時代〟の現実に生きているという実感は持っていたでしょうが、決して〝封建時代〟に生きているという実感は持っていなかったはずです。幕藩体制下のさまざまの抑制の下で、江戸時代の人は生きてきたのだという見方は、それこそ近代の立場からのものでしょう。多分、これから百年も過ぎれば、平成の人たちは、気の毒なことに、〝民主主義〟という名によって偽装された格差社会に生きていたのだと評されるでしょう。それは現代に生きるわれわれの実感とは必ずしも一致しません。われわれは今日の時代、それなりに生きいきと呼吸してくらしているのです。そして、同じように江戸時代の人たちも、それなりに自由に生きていたと思います。しかも、現代のわれわれが、現代の自由を満喫し、日常的に体制に柔順でありながらも、どこか無意識のうちに、その偽装された社会の矛盾に気づいていると同じように、江戸の人たちも、当時の社会や現実の矛盾に対する憤りや不満は絶えず持ち続けていたに相違ありません。ですから、西鶴の作品のなかに顔を出す現実批判、社会批判めいた「行文」は、むろん近代的、知性的な批判意識とは異なりますが、それなりに世間への不満・うっぷんを晴らすための「自我意識」の発露を促進する効果を導いたことと思います。「近世」にも強い「自我」を覚醒させていた人は少なからずいたでしょうし、「近代」にも「自我」を確立し得なかった人は少なからずいたわけです。
 中野さんは、私の「「死なば同じ浪枕とや」考」(『読みかえられる西鶴』2001年)における町人層一般からの理想的な〝武士的倫理観〟への「共感」をとりあげ、そこには当然、「権力批判」や「政治批判」の意識は皆無だったと自説を補強されています。それは「庶民の間に出来あがった理想的武士道への合意」を示すものだとするのです。ただ、このあたりは微妙に論理が擦り替えられているような感じもします。私が言いたかったのは、どんな時代にあっても人間の「意地」と「覚悟」の潔さは不変であるが、それを戦国武士的心組みをもつ激情の武士道精神と信義やモラルによって自己規制する道徳的武士道精神の両面を体現した神崎式部・勝太郎父子の姿を描くことを通して、元禄当時の「非武士化」し「官僚化」しつつあった現実の支配層に対する、町人階層からの不満や憤りの声――あえていえば、暗黙の批判意識がうかがわれるのではないかということでありました。
(二)その文章はパロディを主とした弄文性、即ち表現第一主義をとる。
 この定義は、中村幸彦『戯作論』が扱った戯作文体にそのまま当てはまることで全く異存はありません。ただし、中野説では、「上質の戯作的文章」とは「抒情性や叙事の文章と組み合わさって初めてその生彩を発揮する」ものなのであり、西鶴の文体も「十七世紀らしく雅文体ともよくマッチさせる骨法をも十分に心得た」ものになっているのだとします。私が「『好色一代男』の文体とリズム」(同上書所収)で説いたのは、西鶴の戯作調の文体は「わざとらしさのレトリック」のなかに「まことしやかさのレトリック」を含んだものなのですが、そうした文体は巻一―一の首章「消した所が恋のはじまり」や巻八―五の終章「床の責道具」にとくに著しく、さらに『一代男』前半部、世之介色道修行時代の結びとなる巻四―七「大神鳴の雲がくれ」や後半部、世之介遊里遊歴時代の冒頭部巻五―一「後は様付けてよぶ」においても相応に発揮されているものの、『一代男』全体のスタイルとしては〝俗〟を交えつつ、〝雅〟の文体に基づいたものであり、しばしば情趣を感じさせる表現が主流となっていることの指摘でありました。ですから、『一代男』の文体の分析については中野説と一致しています。結局は、〝戯作文体〟とは何か、の定義いかんで見解が変わるということでしょう。そして、なるほど、中野説にいう〝理想的な戯作文体〟という新しい枠組の提示は大変魅力的であり、相応の説得力を感じます。たしかに、逆にこれを江戸後期戯作の洒落本・人情本・滑稽本についてみても、作品の総体が終始戯文体で綴られているわけではなく、著しい戯文調は冒頭部などに意識的に用いられているだけで、他の部分は会話体という新しい表現法で進められているわけです。
 ただ、ここまで〝戯作文体〟の範囲を万能細胞のように拡大して用いるのが適切なのかどうか、少し考え込んでしまいます。江戸時代の文芸は、もともと近代の文章観のようにリアリズムや表現のオリジナリティをめざすものではありませんでした。古典など先行する表現材料をいかに巧みに用いて文を紡ぎ出してゆくかが評価の基準であったといっても言い過ぎにはならないでしょう。私流に解すれば〝文の芸〟とでもいうべきものなのですが、かつて文芸評論家の高橋義孝が、芭蕉の句文を評して、そんなことを述べていたのを想い出します。西鶴の文も同じことでしょう。そういう文に対して何かよいネーミングがあればとも思います。
(三)内容的には教訓と滑稽を第一義とする。
 これも、西鶴の文芸を読んでゆけば、自ずから導かれてくることで、基本的に十分納得できることです。中野さんは、西鶴のような一流の「前期戯作」では「江戸人として人間如何に生きるべきかを問いかける教訓を、何とか滑稽の甘皮にくるんで読者をして受容し易く」しているので、その「教訓」こそが西鶴の「談理」の姿勢を示すものだと説いています。『一代男』なら「好色の精神」を説くことがこれに当たることになります。江戸後期の戯作では、「教訓」は一つの衣装に過ぎず、「滑稽」の方にあくまで重点があったと私などには思われますが、西鶴の場合は「人生万般」にわたる「教訓」が随所に用意されているわけで、西鶴の作品が単なる「慰み草」だけではないことを示す点で、この「戯作」の一種の拡大解釈は十分にうなづけます。ただ、私などからみると、西鶴の場合、「教訓」はたしかに世態・人情・風俗描写など、いわば「滑稽の甘皮」にくるまれたかたちでなされる場合もありますが、総体としては、咄のマクラや登場人物の口を通して、かなりストレートに語られる方が目立つように思われます。「滑稽の甘皮」にくるまれて顔をのぞかせているのは、むしろ中野さんの全面排斥する「人間性の真実」の方かもしれません。以前私は「西鶴にとって滑稽とは何か」という副題をつけて「津田左右吉の西鶴観を吟味する」(『研究と評論』七八号、2010年6月)と題する論文を書きました。いわゆる谷脇西鶴にも大きな影響を与えたとみられる津田左右吉の西鶴論が、専ら〝慰み草〟としての笑いの要素を、作品に即して、詳細かつ具体的に指摘しているのを、一つ一つ吟味して、津田のとりあげた例がかなり初期の好色物に集中し過ぎていること、津田が滑稽な箇所としてあげるものにじつは笑えないようなものが少なくないこと、その滑稽な場面が一つの挿話としての機能しか果たしていないケースが多いことなどを指摘してみました。また、津田の西鶴観が、その青春期における浪漫主義的文学観の上に立った、ある意味で偏向した見方によるものであることにも言及しました。その「滑稽」の背後に「教訓」性を見るに止めるか、それとも時代を超えた「人間性の真実」を読みとるかの相違はたしかにありますが、西鶴を単なる「慰み草」だけのものではないとする点では、中野さんも私も共通した認識に立つのではないかと考えます。なお、今後もっと突きつめて再考させてもらいたいと思います。
 ところで、今回の中野論文で私が目を見張ったのは、これまで江戸の文化の解明のためには、同時代の江戸人になった心で物を見てゆくべきだと強く主張されてきた中野さんが、その基本的な姿勢は保ちつつも、一方で「現代的観点」「今日性」を検証する方向性をもつことを容認している点であります。近代主義一辺倒の読みに反発し、和本リテラシーを唱導しつつも、現代的視点による読みの可能性にも言及しているのです。
 旧著、『読みかえられる西鶴』(2001年)の題名にも示したように、私の文芸もしくは文学の読みにとりくむ姿勢は、F・カーモードの『秘義の発生』が説く〝古典は読みかえられるもの〟という理論に基づいています。作品は時代とともに読み続けられ、同時に読みかえられてゆくものなのです。これは『万葉集』『源氏物語』『平家物語』など、すべての古典の享受史が示していることです。たとえば、これらの作品が、明治の近代国家形成期に、そのよしあしは別にして、大胆に読みかえられたことは、近年の品田悦一・大津雄一らの著述が語っているとおりです。太平洋戦争直後、暉峻西鶴が多数の人に受け入れられたのも、その時代の基盤があったからでしょう。そうした読みかえは、作品から作者を切り離した、テクスト論に立てば、必然的に生じてくるものです。
 余談になりますが、私は2008年に『偽装の商法―西鶴と現代社会』(新典社新書)を書き、ミートホープ事件をはじめとするさまざまな〝偽装商法〟の多発する今日の時代と照応させて、『日本永代蔵』に登場する主人公のビジネス商法を紹介しました。この本は、もちろん西鶴研究会などからは邪道視されたでしょうが、一部の新聞にはとりあげられ、実業界でも、経団連の方の目にとまりまして、丸の内の日本工業クラブで開催された経団連OBの、現在主に会長職にある方々の会合で講演をさせられました。西鶴の世界には時代を超越して現代の実業界と通ずる要素がたくさんあることをしゃべらせていただき、それなりに満足していただいたと勝手に思っています。けれども、それとは正反対に、同じ年に出した角川ソフィア文庫の『日本永代蔵』では、全篇一作ごとに、これまでの先学の諸説をふまえて、私なりの〝反近代小説〟的な読み方――咄・雑談としての西鶴のおもしろさを解説してみました。
 以上、勝手なつぶやきに終始しましたが、最後に、私が今願っていることをお伝えしたいと思います。その一つは中野さんに是非、西鶴の作品例を含めた『新戯作論』、もしくはそれに準ずるものを執筆してもらいたいことです。また故谷脇理史さんも熱望していましたが『好色一代男新論』をまとめていただきたいのです。中野さんは長谷川強さんの『西鶴をよむ』(2003年)がよい手本だと書いていますし、私も、この本からは大いに啓発されましたが、講演録を基として書かれた本という制約上、綿密に作品に即した叙述には必ずしもなっていない面があります。暉峻西鶴が近代的観点に適した作品に重点を当てた論になっているのとは裏腹になっている面があるかもしれません。それからもう一つ、西鶴研究会へのお願いですが、中野さんの〝西鶴戯作者説〟というきわめて重要な問いかけを敬して遠ざけるのでなく、真正面から受け止めてもらいたい、中野さんは西鶴を「表現第一主義」の作家とみているのですから、もっと西鶴の表現や文体の問題にも切り込んでもらいたい、笠間書院から『西鶴と浮世草子研究』の別巻として「西鶴の表現世界―戯作者の精神」とでも題した特集を出してもらいたいと思っています。