無言のままの娘について ―武家物祭観戦記、仲沙織『新可笑記』巻一の四「生肝は妙薬のよし」考―(愛知大学・空井伸一)

 みなさま、仲さんの発表(要旨はこちら。第40回・西鶴研究会)の司会を務めるに際して、研究会事務局からまとめを書いて欲しいとのご依頼があり、このように認めました。書評的な書き方ですので敬称など略しておりますがご海容ください。

  これまでひどく貶されてきた『新可笑記』を丹念に読み直し、光を当てるという仕事を意欲的に行ってきた仲沙織は、今回かなりの難物に挑んだのかも知れない。というのも、そのような『新可笑記』の中にあって、この一篇については富士昭雄、杉本好伸、広嶋進らによる再評価の仕事が既に備わっており、従ってそれら先学の、百尺竿頭をさらに一歩を進めようとすることは、いきおい裏読み深読みの迷路にはまりかねないからだ。それ自体がかなりリスキーな企てと言ってもよい。

 仲自身もそのことは自覚しており、発表の中でも「深読みかも知れないが」という言い方を幾度となくしていた。発表の前に聞いたところ、今回は自説をまとめきれなかったが、敢えて俎板に載るつもりであるという。しかしそれにしても、質疑応答では彼女の読みを肯定的に掬い取る意見はほぼ無く、なかなかに手厳しい言葉が続いた。司会を務めていて、仲の目線と同じ方向からそれを受けとめていた自分には、それらがいずれも、この若く意欲的な研究者を育てようという、文字通り親心からのものであることはひしひしと感じられたのだが、それにしても取り柄をつかんでの意見を聞くことはなかったのは確かである。

 では、仲の試みは全くの失敗に終わったのか。私は、そうは思わない。発表を閉じる際、自分としてはおもしろく聞いたし、ところどころヒントになるポイントがあった、是非まとめあげて欲しいとも言った。これは決して仲人口ならぬ司会口からのリップサービスではない。誰もが得心するようなまとまりは示せなかったが、しかしだからこそ仲は、もしかしたらこれまで誰も気づいてこなかったこのテキストの秘密を掴みかけているかも知れない、そのように思えたのだ。以下、そのことについて粗粗と綴ってみる。

仲に対する異見に共通していたのは、この一話を仏教説話として読むこと、娘によって為される仏教的な救済の物語として見ようとすることへの違和感だった。例えば広嶋や杉本の所説は、武士が「忠」を貫くことで「孝」に尽くす娘が無惨に破壊されるという構図によって、忠孝を奨励した政道へのしたたかな批判が込められると見るものである。武士が出家する結末などは、無常を観じての厭世というよりは「義理」に詰まった挙げ句という皮肉とみなされるし、古浄瑠璃霊験譚の典拠利用などは政道批判のカムフラージュと目される。つまり仲の読みとはいずれも真っ向ぶつかり合うわけで、この大きな先学たちを頷かせるにしては、仲の所論はいささか粗過ぎた。本作に対する仲の論点を三つに絞って上げつつ、自分なりの注文をつけてみる。

 一つ目は、母親の描き方について。典拠作ではいずれも母親は亡くなっており、遺された子供たちの物語になっているが、本作では母の人物像が詳しく語られ、彼女の語りによって話の大きな部分が展開していくことを仲は指摘する。また、夫の死後貞節を守る姿などは女訓物の典型のようでありながら、娘の美貌にこだわり、それ故彼女の将来に期待を寄せるところなどは当時としては特殊な母親であると仲は言う。また、そのような期待を抱くが故に旅僧に偽装した武士に心を許し、欺かれてしまうことになる、そのような「多面的」な描き方に含みがあるという。

 私は、「子安地蔵の腹帯」を受け取って油断してしまう母親に、娘に執着するが故の落ち度を見るよりも、その娘の幸せな婚姻と出産という将来を無惨に破壊することで得られる「生肝」を奪取するために、その幸福を祈念する品を贈って取り入る武士のやり口のおぞましさの方に深い闇を見てしまう。また、娘の器量自慢な母親や、その嫁ぎ先に大きな望みをかける母親が特に際立ったものかどうかも疑問はある。西鶴もそのような母親を描いてはいまいか。だから、この母親像が特異だというのは言い過ぎに感じる。

 しかし、夫の没後いったんは世を捨てる思いであった彼女が、娘故に現世に未練を抱き、しかしその娘を失うことで再び無常を観ずるに至るという指摘には考えさせられるところがあった。これは娘によって救済される物語を読み取ろうとする仲の目論見からすれば肝心なとこだろう。ここを詰めることが仲の論を立てるためには欠かせないように思う。

 二つ目は、里人の中に「内通者」の存在があったという指摘。この美貌の娘を、当初は色欲の目で見る者もあったが、その孝心に感じ入って以降は母子の寄る辺なさに同情せぬ者はなく、村中総出ともいえる支援ぶりが描かれる。娘を陥れる存在をそこに見込めるような直接的な表現はない。しかし仲は、「物なれたる老女」が殊更に娘の「五月五日」という生月生日を言い立てたことの不審を指摘し、娘が「生肝」の提供者として好適だということが老女によって密告されたのだと見立てる。だが、出生の日付を知っていただけでそこまで言えるかは疑問で、質疑においても否定的な意見が相次いだ。仲自身も認めていたように、このままでは深読みに過ぎると言わざるをえない。「腹帯」や逃亡用の駕籠をあらかじめ用意していた武士の周到さを思い合わせれば、事前調査が行き届いていたことは確かだが、それが内通者の情報に拠るという根拠は、私には作中どこにも見いだせない。斬新な観点と言えば言えるが、今発表においては、そのように見れば見える程度のことに留まった。

 しかし仲は内通者の存在を読むことにはかなりこだわりがあるようだった。皆に愛される存在なのに、そのような悪意が存在しえたことに意味を認めたいらしい。薄幸の母娘を優しく取り囲む善意の人々、しかしその中に潜む一点の悪意、なるほど魅力的な見立てだ。ならばそれを説得力のあるかたちで呈示しなければならないし、なによりもそれが娘による救済の物語という仲の読みにどう繋がるかを示さなければなるまい。今回の発表では、その理路はたどられなかったと記憶している。

 先に述べたように、わたしは今のところこの見立てそのものには否定的である。しかしひとつ思うのは、このように深読みさせてしまう存在は、典拠や先行作には認められないということだ。それは、本作以外のどの作も、娘の「生肝」が取られることは霊験によって回避されるかたちを取るからである。身代わりになってくれる神仏もなく、むごたらしく胸を割かれた後だからこそ、老女が登場するわけであり、ならばこれは本作の決定的な作為のひとつとして考察すべきことではあるだろう。もし、仲の読みに沿わせるとするならば、身代わりになる神仏がなかったということは、他ならぬ娘自身がそうした超越的な存在を体現しているのだという見取りもありうるのではないか。

 さて、最後の三つ目は『本朝二十不孝』巻二の一「旅行の暮の僧にて候」との参照比較である。話の展開や語句表現の類似を丹念に示し、両作が同一の設定・発想を根底に持ちながら、結果としては相反するものを提示していると仲は指摘する。西鶴の少なからぬ作に認められる方法でもあり、このことについては参加者の同意を得られていたと思う。しかし、ならばそれは本作においてどのような意味を持つのかについての考察には、今回至ってなかった。むろんそこが肝心なので詰めてもらいたいところだが、この指摘自体は本作を読む上でかなり大切なことだと私は感じる。

 『二十不孝』の小吟は強烈な個性で、生来の悪、社会病質者とでも言おうか、行き暮れた旅僧に慈善の手を差し伸べながら、その強殺を親にそそのかすという両極性を示す、西鶴作においても希有なキャラクターである。それ故、彼女の名は小吟として作中明確に刻まれ、初手の悪行においては自らその手口を詳しく親に語り聞かせ、成長してからは男を選り好みし、嫉妬の逆恨み故に主家の奥方を殺害するなど、常に能動に出る存在である。対して、本作の娘には固有の名は一切示されず、作中ほとんど語ることもない。そのような彼女が、唯一自らの言葉を持って直接意志を示すのは、小吟と同じく、行き暮れた旅僧を自家に招き入れんとする、「やさし」い言葉なのだ。そして小吟とは正反対に、彼女自身が、招き入れた偽僧侶に殺害されるという悲運を遂げる。惨事に全く気付かなかった母が嘆くように、「声は立てず」にである。

 この、無言のまま身体を破壊され、その身のうちにあるものを他者の命を救うために摘出されるということにおいて、彼女は典拠における身代わりの阿弥陀や観音と確かに重なっている。仲が指摘していた本作の特異点のひとつ、生肝を本当に取られてしまうこと、彼女自身は救われないことには、確かに意味がある。彼女の身代わりはなく、彼女自身が犠牲となることで母や武士を仏道に導き入れたということであれば、そこに典拠とは違うかたちの霊験譚を見い出すこともあながち的を外したこととは言えない。仲は質疑への応答の中で、「聖なる装置」という言い方をした。多くを語ることのない、具体的な存在感には欠ける娘、そのように、ある種空っぽな中心だからこそ聖性を帯びるというのも、記号的な解釈としてはあり得るかも知れない。

 ただし、こうしたことをもって本作を仏教説話と解するのは今のところ相当むつかしいだろう。例えば、武士が最後に出家しているから仏教説話だというのならば『一代女』も出家するが、それを仏教説話と呼ぶ人はいないだろう、という厳しい指摘もあった。また、仏教説話、霊験譚の枠組で読むというのなら、武士が母親を欺くために用いる「子安地蔵の腹帯」とはどのような由来のものか、推定ぐらいしておかないでどうするという駄目出しもあった。しかしこうしたことも含めて、仲がなかなか言語化出来ずにもやもやしているところを煮詰めていくと、誰もが思いもしなかった、西鶴描くところの「胸割」の様相が見えてくるのではないか、そんな期待をしている。

 さて、最後にまったくの思いつきを書くことを許して欲しい。「生肝」を取る話、例えば「猿の生き肝クラゲの骨抜き」といった昔話は世界各所に認められるようだが、日本におけるその類の話の由来はインド説話に認められるだろう。本話の典拠というにはいささか間遠いが、『今昔物語集』巻四第四十の法華経霊験譚などは舞台そのものが「天竺」である(第四十一の「猿の生き肝」譚の前に配されている)。この話は、国王の太子が歳十三に及ぶまで一切物を言わず、その治療の妙薬として髪の美しい娘の生肝が取られようとする話だが、この、十三年にわたって言葉を発しない無言の王子は、『源氏物語』「夕霧」において心を痛める紫上が漏らす言葉の中にも認められる、その名も「無言太子」、すなわち、『仏説太子慕魄経』などの漢訳仏典に描かれる、波羅奈国の太子慕魄のことを踏まえている。慕魄の場合、その無言ぶりは国を滅ぼす不祥事とされ、彼自身の命が奪われようとするのだが、興味深いのは、慕魄は過去から未来にわたる己が宿命を見通す、いわば宿命通の神通を得ているが故に無常を観じ、その出世間の思いから言葉を発しなかったということである。彼の「無言」には、いわば阿羅漢果に到達した者の、完璧な諦念が秘められていたのだ。無言のまま殺害され、切り裂かれた娘の胸の内にも、そのような聖性が潜んでいたかも知れない、というのはいささか付会が過ぎることだろうか。