第40回・西鶴研究会(2015年3月26日(木)、青山学院大学 総合研究ビル9階、第16会議室)

日時    3月26日(木) 午後1時30分より6時まで
※通常より30分早く開始です。
場所    青山学院大学 総合研究ビル9階、第16会議室
内容    研究発表、並びに質疑応答、討議

1:30~2:15 仲沙織氏
2:15~2:50 (質疑応答)
2:50~3:00 休憩
3:00~3:45 浜田泰彦氏
3:45~4:20 (質疑応答)
4:20~4:30 休憩
4:30~5:15 井上泰至氏
5:15~5:50 (質疑応答)
5:50~6:00 連絡事項等

◆『新可笑記』巻一の四「生肝は妙薬のよし」考
大阪大学(院) 仲沙織

『新可笑記』(元禄元年十一月刊)巻一の四は、典拠として孝女の生肝がとられるも仏が身代わりとなって命が助かるという枠組みの先行作品、古浄瑠璃 『阿弥陀胸割』(冨士昭雄氏)・『清水寺利生物語』(広嶋進氏)が既に指摘されている。しかし、巻一の四では典拠のような仏の奇瑞は起こらない。冒頭に 「忠ある武士孝ある娘の事を語りつたへり」とあるが、巻一の四は生肝をめぐって、主君のために「忠ある武士」が「孝ある娘」を殺害する内容となっている。
先行研究においては後半部の武士による発言の内容も含め、〈忠〉と〈孝〉との関係性―その矛盾や対立などが中心に論じられてきた。本発表ではこの問題と結 末における侍の往生の意味について考察を行う。また、従来殆ど顧みられてこなかった母親や周囲の人物の設定における工夫、そして『本朝二十不孝』巻二の二 「旅行の暮の僧にて候」との関係を指摘し、巻一の四の新たな読みを試みる。


◆『武家義理物語』をどう読むか?
― 巻二の一、巻二の二の敵討事件と序文をめぐって ―
佛教大学 浜田泰彦

 『武家義理物語』(以下、『武家義理』。)「身代破る風の傘」(巻二の一)と「御堂の太鼓打つたり敵」(巻二の二)は、二編一連の物語である。また同時に、貞享4年6月に発生した御堂前敵討事件を取り込んだ際物でもある。
 『武家義理』刊行直前の事件より材を得た上記二話は、本部実右衛門と島川太兵衛(後に「本立」と改名し、出家)が、阿波新橋での衝突事件により敵討ちへ と展開したため、本作序文の「時の喧嘩・口論自分の事に一命を捨ることはまことの武の道にはあらず」なる一文に矛盾するのではと指摘されてきた。たとえ ば、吉江久弥氏はこの一件を「武士の本意に外れた行為であ」ると指摘した上で、『武家義理』は「肯定的主題」に「否定的主題を副え」た「複合の主題から構 成せられ」た作品であると総括する(「『武家義理物語』論―『武道初心集』との関係から」『西鶴 人ごころの文学』1988年・和泉書院)。
 だが、はたして西鶴が刊行直前に発生した事件を、わざわざ「否定的主題」として取り入れるであろうか? 
 実際、敵討の契機となった事件の場面を読み直すと実右衛門は、太兵衛と傘が接触したのを咎めたのではなく、太兵衛が「これは慮外」と「推参なる言葉」を かけられたために、武士として引くことができなくなったと描写されている。その意味で、「時の喧嘩・口論」には該当しないのではあるまいか。
 本発表では、西鶴が御堂前の敵討ちを「武士の本意」として描いたという立場から、解釈を行っていく。

◆近世刊行軍書と『武家義理物語』― 青砥説話の生成と展開             
防衛大学校 井上泰至

元禄を十七世紀の文化・文学の頂点に位置づけ、寛永・寛文期をそれへの助走と考える見方を一旦措いて、むしろ寛永・寛文の文化にはそれぞれ代替え不 可能な価値があり、十七世紀の文学史を、隣接他分野からの視点も導入して、新たな視点から捉え直す。――この課題に取り組むに当たって、西鶴とその時代に 繋がる武士道観を探索していくやり方をすると、後世の展開を知っている我々の予見から、寛永・寛文の文化・文学を矮小化して捉えてしまう危険性がある。
通説の武士道観は、戦国の気風を残した、暴力を推奨する「武道」「武士道」から、太平の世に適応した官僚的な「士道」への変化を見てとる考え方で、西鶴の 武家物理解にもこの公式を当てはめられてきた。しかし、「武士道」から「士道」へという公式は、近代の倫理学の成果に過ぎず、その変化が画期的になされた ものでもない以上、こうした公式の当てはめは、「慶応三年(一八六七)に、「吾輩は猫である」「こころ」の作者、夏目漱石が生まれた」という「歴史叙述」 のような、現代と当代を無造作に混在させるやり方と同断である。西鶴は「武士道」「士道」の双方を意識しており、かつ現実の武士の間では元禄に近いあたり まで、勇武の武道は実践されており、そこに近代の倫理思想史からイメージしがちな公式的な転化は求むべくもない。
今回は、『武家義理物語』巻一の一「我物ゆへに裸川」を取り上げる。この話は、作品の顔となる冒頭話であると同時に、寛永・寛文期にそれぞれ重要な軍書で 取り上げられた青砥藤綱の説話を取りこんで、そこに新たな視角を導入した西鶴版青砥説話となっており、西鶴の小説的達成という公式に乗ることなく、「士 道」的なるものがどのように説話として形成・流布され、そのイメージをどう使いながら西鶴は己の小説を書いたのかを問うのに格好の題材が揃うからである。