次回の西鶴研究会のプログラムが決まりました(染谷智幸)

次回の西鶴研究会のプログラムが決まりました。

日時:8月27日(木)午後2時~6時
場所:青山学院大学総合研究ビルディング18会議室(10階)

《タイムスケジュール》
2:00 研究発表(有働裕氏)
3:00 質疑応答
3:40 西鶴に関する新企画について
4:00 休憩
4:10 石上阿希氏ご講演
5:10 質疑応答
5;45 総会
6:00 終了

今回は、通常の研究発表(有働氏)と前々回に問題となった、中高校生等の若い人たちに向けた西鶴入門書の企画提案、そして石上阿希氏の春画に関するご講演の三本立てになりました。

石上さんには、今回、春画研究の今日的問題についてご講演をお願いいたしました。ご存知の方も多いかと思いますが、彼女は、春画研究を牽引する若手研究者として今一番注目されている方です。日本はもちろんのこと、世界を飛び回って多くの春画を調査されると同時に、大英博物館などの春画展の企画にも携わり、成功裏に導いて来られました。このほど、その功績が認められて国際浮世絵学会の新人賞を受賞されました(本年六月七日)。

その受賞記念のスピーチを私も拝聴させていただき、たいへん啓発されました。
ご存知のように、大英博物館を始めとするヨーロッパの春画展は大変好評で、春画展に来館されたほとんどの方たちが、春画を好意的に評価されたようです。ところが、本家本元の日本の美術館・博物館が大英博物館の巡回展を敬遠するなど、いささか冷たい反応を繰り返しました(永青文庫が意を決して今年九月から春画展を開催するとのこと。ただしスポンサーはつかないようです)。石上さんは、そうした春画の今日的問題の背景を探るべく、日本近代における春画への眼差しを丁寧に追いながら、日本の文化が多様性を失っていった過程をスピーチで解き明かされました。

私は今まで、春画に特別な関心持たなかったのですが、韓国の古典文学、特に小説を研究する過程で、似たような問題に直面したことから、改めて関心を持つようになりました。良く知られているように、朝鮮の文物は儒教(朱子学)の影響もあって、あまり性的に生々しいものは残っていないのですが、『卞強釗伝』(ピョンガンスエジョン)や『紀伊齋常談』(キイチェサンダン)のような、極めてエロチックなものが突如噴出することがあります。それでその背景を探っているのですが、どうも朝鮮時代前期までに相当数あったエロチックな世界が、後期に多く失われてしまったようです。

たとえば、朝鮮半島にはかつて「性石」(男根・女陰をシンボライズした石や岩など)たくさんありました(朝鮮半島には岩石が多くあることが原因でしょう)。しかし、そうした性石の多くが、朝鮮時代に破壊されました。背景には、その朝鮮時代後期に儒学(朱子学)が台頭し全盛を誇ったからのようです(『韓国の性石』김대성著、1997年)。本来の儒教に、性に対する強い忌避があったと思われませんが、朱子学(宋学)以後の儒学は何よりも秩序を重んじました。そのために風俗紊乱に極めて敏感に反応したと考えられます。

これもよく知られているように、日本の美術館・博物館の多くは明治期の成立ですが、この時期には徹底した西欧化と同時に儒教化が図られました(柄谷行人『日本精神分析』文藝春秋2002、與那覇潤『中国化する日本』文藝春秋2011、小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』藤原書店2012など)。明治期の日本に、男女の性に関して不寛容な二大宗教がダブルパンチで襲来したのですから、本来、性に寛容であるはずの美術・芸術と言えども硬直化してしまうのはやむを得ぬ仕儀だったかもしれません。西欧の美術館・博物館より日本の美術館・博物館が性に対して不寛容なのは、そんなところに原因の一端があるかとも思います。

いずれにしても、この明治以降に西鶴も風俗紊乱の原因として検閲を受け、本文に伏字などが施されたりしました。文と画との違いはあっても、同じような経路を辿ったわけですから、その経緯を比較してみることは有意味だと思います。特に西鶴は、その明治以降の西欧化の中から、また再発見もされたわけですが、同様に浮世絵もフランス印象派のジャポニズム、春画も昨今の欧米からの再評価と、同じような視座から批判と評価を受けています。この現象をどう考えるか。

今回の石上さんのご講演を拝聴しながら、そんなことを考えてみたいと、今から楽しみにしているところです。なお、近日中に有働さんの発表要旨、石上さんのご講演の題目などを会員の皆様には送らせていただく予定です(このブログにも掲出いたします)