第29回・西鶴研究会(2009年8月27日(木)午後2時~6時、青山学院大学 総合研究ビルディング 10階 第18会議室)

◆『本朝二十不孝』と「家」 ―巻二の四・長男を圧殺した「孝」― 
愛知教育大学  
有働 裕

西 鶴の生きた十七世紀後半は、商人の「家」意識の萌芽期であった。ただし、当時の啓蒙教訓書には、宋学的な「家」概念がむき出しのままで提示されており、経 済共同体としての「家」継続への願望を育みつつあった商人にとって、それは違和感の強いものであった。儒教的な「家」や「孝」の概念が修正されつつ定着し ていったのは享保ごろに至ってからとされている。従来このことは、支配システムとしての「家」、すなわち「擬制的性格」のみが強調されてきたが、そこには 商人の憧憬の対象としての共同体意識を見出すこともできる。ただそれは、矛盾した二つの「家」を抱えこむことをも意味する。『本朝二十不孝』巻二の四「親 子五人仍如件」は、そのような状況を視野に入れることで、単なる不孝説話を超えた一章であることが明らかになる。表向きの繁栄を極めていた駿河府中の商人 虎屋善左衛門は、財産を長子に相続させ分業協力体制を守ることを口頭で遺言しながらも、「人間は外聞」という現実に対応するために、架空の八千両を分割相 続させるという虚偽の遺言状を残す。しかし、遺言状の持つ公的性格のために、分割相続を求める弟たちが、長子善右衛門を自殺へと追い込む。親への「孝」を 尊重したために「家」が滅亡へと至るこの一話は、過渡期の商家の抱える矛盾と苦悩を鋭く抉ったものであった。

◆『好色一代男』と『京童』 ―その挿絵利用の再検討―
京都府立大学 藤原英城

本発表では、『好色一代男』巻五の五「一日かして何程が物ぞ」、同巻の六「当流の男を見しらぬ」の連続する二章の挿絵について、その『京童』の利用を中心に考察してみたい。
 巻五の五の挿絵は世之介の髪型が若衆髷に描かれていることに従来から不審が持たれ、そこに「何らかの錯誤」(加藤裕一氏「西鶴浮世草子全挿絵画像 CD」)が指摘される。「元服以前の世之介を予定して成立したもの」として巻五全体の成立論に及ぶ見解も見られるが(島田勇雄氏『西鶴本の基礎的研
究』)、定説には至っていないようである。また挿絵の構図に関しては『京
童』巻二「傾城町」に拠ることが指摘されているが(信多純一氏、後掲堀章男氏論文による)、その利用に関しては「既成絵画の利用が安易に過ぎ、ために挿絵として破綻をきたす一歩手前の例」(堀章男氏「「好色一代男」の挿
絵」)ともされる。
 同巻の六の挿絵は安芸の宮島での遊女の道中風景が描かれるが、これも『京童』の同個所に拠ることが指摘されている(堀氏)。しかし、こ の挿絵はそれに対応する本文がなく、「都の傾城町を田舎のそれへと、『京童』からの想像にたよって安易に移し替えた挿絵」(若木太一氏「西鶴本の挿絵」) とされ
る。その外にも巻七の二、四にも「傾城町」が利用され、顔つき・身ぶり等に施された多様な加筆に、「『一代男』に添った人物に改変・再生し、場面や世界の転換を行っている」との指摘もなされるが(若木氏)、その分析はまだ十分とは言えない。
 総じてこれまでのこれら『京童』利用の評価は低いと言わざるを得ないが、それは『京童』の挿絵にのみ終始した議論であり、その本文に言 及されることはなかった。『京童』の本文にも着目することで、『一代男』の挿絵の不審さを幾分かでも解くヒントが見出されはしないだろうか。また、「傾城 町」の度重なる利用に安易さを指摘するのみではなく、そこに西鶴の積極的な意図を汲み取ることも可能なのではないか。カモフラージュの問題も含め、西鶴の 『京童』利用について再検討してみたい。

◆合評、広嶋進著『西鶴新解-色恋と武道の世界』(ぺりかん社、2009年3月刊)

ここ数年、合評と称して、会員が上梓した論文集を取り上げております。主旨は、紙数等の制約が多い学会誌・新聞の書評欄では言及しにくい様々な問題を取り上げて、著者の提示した問題点を多角的に検討してみることにありま
す。
今回は2009年3月に上梓された広嶋氏の論文集を取り上げます。はじめに広嶋氏に10分~20分ほど補足説明をお願いし、その後自由討論に入ります。
 会員諸氏には、事前に該書の問題点抽出および整理などをお願いいたします。                           

(染谷記)

○司会は前回発表者の予定です