第27回・西鶴研究会(2008年8月28日(木)午後2時~6時、青山学院大学 総合研究ビルディング 10階 第18会議室)

◆境界上の独身者―『西鶴諸国ばなし』巻四の七「鯉のちらし紋」考―
宮城工業高等専門学校 
空井伸一

 水魚豊かな水辺に住まう独身の漁師が、見事な魚身を愛でて取り置いた鯉魚と情を交わすという異類婚譚の典型―、一通り読むならそうなる。しかし後に迎え る「女房」に語るところを信ずれば、彼の身に覚えは無いのだ。ならば一方的に「ともゑ」を性具として弄んだか。近年の注釈はいずれも「内助は鯉の口を性の 処理に使っていた」などと断ずる。なるほど、蕪で気をやった『今昔』の男の例もあるし、男子たるもの穴と見れば、いや無ければほじくってでもというのは痛 いほど分かりやすい妄想ではある。しかし、鯉には咽頭歯というものが発達しており、貝殻も砕き割って食らうらしい。本編挿絵では咽の奥どころか口辺に鋭い 歯を剥き出しにしている。有歯膣さながらに、恐ろしいからこそ噛まれてみたくなる去勢願望などむしろかき立てるかも知れないが、実際問題として鯉の口婬は かなり危険な振る舞いと言わざるを得ない。内助・ともゑ交情の真相は不分明、鯉との恋はかなり意味深長なのである。
 さて、本編の舞台「内助が淵」も一筋縄ではいかない。淵はそもそも説話的磁場の定番であるし、鯉は深くよどんだ淵を好む。草香江や勿入淵の記憶をとどめ た「内助が淵」はこの奇譚にふさわしい舞台だ。しかし、本編においてそれは「池」とも称されるように、淀川・大和川流域の沖積化にともない、深野池・新開 池の二つに退縮している。また、本作成立以前の文禄期には淀川本流から切り離され、さらに宝永期の大和川付け替えにより水の流入は激減し、以降は新田開発 によって干上がる運命をたどるのである。本要旨の始めに「水魚豊かな水辺」と記したが、この水域は氾濫を繰り返し、その治水は流域に住む者にとって長年の 悲願であった。決して牧歌的な魚女房譚の舞台などではないのだ。
 この一編は、そのように鎮/沈/静められるべき運命にあった淀川・大和川両水系の合流点を舞台に、束の間幻視しえた人魚交感の奇譚と言えるかも知れな い。その交感の真相は一切不明でありながらも、様々な含意を読み取らせる一編なのだ。それは「堤」という人造の境界にすまう独身者の妄想を写し取るものと でも言えようか。
 本発表では発表者自身の妄想丸出しに、如上のことをおろおろと考えてみたい。

◆天狗源内論-近世漁業のイストワール
茨城キリスト教大学 
染谷智幸

 『日本永代蔵』は空前絶後の作品である。『永代蔵』の前には『長者教』のような簡便な教訓書しかなく、後も『永代蔵』ほどに優れた経済小説は中々見つか らない(それは大正初年に刊行された『通俗経済文庫』(日本経済叢書刊行会編)などを眺めれば明らかであろう)。とくに『永代蔵』の前にこれと並ぶ、或い は前身になる作品が皆無なのは本作を考える上で十分に注意しておく必要がある。すなわち本作が突然変異的に現れたとして、そのことに西鶴自身も自覚があっ たとすれば、本作には近世経済に関する原初的なイストワール(歴史物語)が盛り込まれている可能性があるからである。
 こうした問題に先鞭をつけたのが岩井克人氏の「西鶴の大晦日」(『現代思想』1986年9月臨時増刊号)に載る『永代蔵』論であった。氏は巻一の一「初 午は乗てくる仕合」の主人公網屋が祠堂銭(寺院の経済活動)という中世の「拝金思想」ではなく、近代資本制の「貨幣の論理」を身につけた男だとして、本物 語を「拝金思想」が解体された物語であると認定した。氏の視座がが文学史ではなく経済史の文脈上にあったこと、自身の『胸算用』論に隠れてしまったことな どあって、あまり話題にならなかったが、こうした試みはもっと多くなされるべきである。
 そこで本発表では、巻二の四「天狗は家名の風車」を題材にして、ここに登場する天狗源内がどのような視点から形象されているのかを論じつつ、源内の形象 に近世漁業の起源と展開が込められている様相を炙り出してみたい。また、そうした源内像の背後に将軍綱吉を中心に行われた「生類哀れみ政策」が関与してい た可能性も指摘してみたい。

◆合評、早川由美著『西鶴考究』(おうふう、2008年4月刊)

 ここ数年、合評と称して、会員が上梓した論文集を取り上げております。主旨は、紙数等の制約が多い学会誌・新聞の書評欄では言及しにくい様々な問題を取り上げて、著者の提示した問題点を多角的に検討してみることにあります。
 今回は2008年4月に上梓された早川氏の論文集を取り上げます。はじめに早川氏に10分~20分ほど補足説明をお願いし、その後自由討論に入ります。
 会員諸氏には、事前に該書の問題点抽出および整理などをお願いします。
(染谷記)

○司会は前回発表者の予定です