25日の研究会寸感(染谷)

研究会(8月25日)寸感

みなさま、25日の研究会はご苦労様でした。

今回の参加は三十数名ということで、いささか少なめでしたが、例年になく落ち着いた?研究会になったかと存じます。いつものことですが、若干のご報告を記します。

今回は発表1本と著書の合評2本でした。発表は上阪彩香さんの「数量分析を用いた西鶴浮世草子24作品の文章比較」ということで、日本語の数量的・計量的研究の立場から、西鶴作品に挑もうという従来にない新しい角度からのものでした。日頃、印象批評が先行する文学研究にあって、数字という厳として動かしにくいものからのアプローチはなかなか新鮮でした。ちなみに、上阪さんは、今から十五年前に編纂された『新編西鶴全集』のデータベース化を主導された村上征勝氏(同志社大学)のお弟子さんです。

上阪さんの分析によれば、西鶴の24作品の中でも『万の文反古』と『嵐は無常物語』が他の西鶴浮世草子とは異なった特徴を持つとのことでした。その異なった数値を示したのは品詞の出現率で、『万の文反古』は動詞と助詞、『嵐は無常物語』は名詞、副詞、形容動詞で他の作品が持つ特徴から逸脱する「外れ値」を示したとのことでした。

私は質問で『文反古』のような書簡体小説の場合「候」(動詞)が多く使われる為、動詞が増えるのは止むを得ず、また簡潔な文体を志向するために助詞も省かれる場合が多いのではないかと指摘しました。ただ『嵐は無常物語』の場合は三つの品詞で「外れ値」を示すというのはやはり異常です。上阪さんも、こうした品詞出現率などは他の作家が真似ようとして真似できないと述べておられたと思いますが、『嵐は無常物語』についてはじっくり検討する必要があるのではないかと思いました。ちなみに『嵐は無常物語』は西鶴作品として認定されていますが、まだ確証はありません。版下が西鶴筆であることはほぼ間違いないところですが、版下が西鶴=西鶴作品とならないことは、『近代艶隠者』が示したことです。今後、この『近代艶隠者』や北条団水の作品、西村本の作品等と比較してみる必要があり、それによっては大きな問題になる可能性を秘めています。

いずれにせよ、作者を判定する場合、他人が真似することのできない法則や癖を明らかにし、それを基に一線を引くことができれば、かなり有力な判定材料になると思います。特に署名等のない西鶴本については貴重でしょう。ぜひ上阪さんには更にご研究を進めていただければと思いました。

次は合評です。

これについては実に様々なご意見が出ましたので、ここで総括をすることは出来ません。以下、私の感想を中心に少し述べるに留めます。まず宮澤照恵さんの『『西鶴諸国はなし』の研究』(2015年3月 和泉書院)です。宮澤さんは『西鶴諸国はなし』について長年研究を重ねられ一書にまとめられました。一書全てが『諸国はなし』研究というのは恐らく初めでではないでしょうか。今後、『西鶴諸国はなし』を研究する場合、必ず参照されることになる本であると思います。宮澤さんは実に様々な角度から『諸国はなし』に迫っていますが、重要なのは、その一つ一つが悉皆調査に徹している点です。都合のよい論点のみつまみ食いしてしまう論文が多い中(私のが典型ですが)、根気良く丁寧に調べ尽くしている点です。

そこで、その点を十分に認めつつ、研究会の折に時間がなくてお話しできなかった問題を一つだけ申し上げます。それは今も触れた諸本調査についてです。宮澤さんはほとんど全ての『諸国はなし』をご覧になってその版木や刷りの状況から、33頁にある諸本系統図を作られました。それによれば、初印本→早印本(1)→早印本(2)→次印本とされておられます。この展開・流れそのものについては私もほぼ首肯できると思います。しかし、これら全て同版であり、刊記等に大きな異同(他の出版書肆名の埋木等)がないとすれば、刷りの前後が若干あるとしても、あまり時期を措いてのものではないのではないかと思います。宮澤さんは細かい欠損や刷りのかすれなどを問題にしておられますが、ここから刷りの前後を決めるのはやはり無理があるでしょう。かすれているから、欠損があるから後とは言い切れませんし、本の保存状況によってもかなり違ってきますから。

それから、現存している諸本以外に初印本があるとの推測ですが、現存する全てが同版で大きく違っていないことから鑑みて、これとは別の初印があったと推測するのは難しいのではないでしょうか。もし初印があり、通常の刷りとして二三百が刷られたとすると、それらが一冊も現存せずに、残った全てが後印であるということの方が考えにくいと思います。そも「初版」と言わずに「初印」と言っているのは、版木が何時彫られたのか(版・刊)は分からないが、最初にまとまって刷られた時期を指示する意味で「印」としたのでしょうから、宮澤さんの指摘した「早印」は「初印」で良いと思った次第です。もちろん私は、諸本全てを見ていませんので何とも言い難い状況ですが、該書を拝読してそのような印象を持ちました。

次に、平林香織さんの『誘惑する西鶴-浮世草子をどう読むか』(2016年2月 笠間書院)です。該書は宮澤さんと違って、西鶴を全方位的に捉えようとしたものです。内容は多岐に渡り、ここで纏めることは出来ませんが、確かに大いに「誘惑」される内容でした。私が特に「誘惑」されたのは、世之介の難破問題(対照的な挿絵の存在、33頁)、武家物の「本望」の問題(125頁)、『永代蔵』巻一の三「浪風静に神通丸」における佐野とその繁栄の分析、『懐硯』伴山を中心にした「積層構造」の分析など、興味は尽きないものでした。その様々に「誘惑」された中で、私として特に注目したのは、該書第Ⅲ部です。このⅢ部は研究会の折にはほとんど問題になりませんでしたが、極めて野心的な内容です。たとえば最初に取り上げられた「顔」の問題。日本の文学や芸術が、人間の「顔」をどう表現してきたか。これは古代の物語・壁画から現代の小説・漫画に至るまでの大きな問題です。その歴史の中にあって、西鶴の「顔」表現は平林さんご指摘のように、かなり異質だと思います。中々顔の表現が深化しない中、西鶴の表現は群を抜いていると私も従来から感じて来ました。それを正面から題材にして論じられたのは平林さんの手柄だと思います。

ただ、これこそ西鶴を飛び出して全方位的に論陣を張らないといけないわけで、極めて難しく一書が必要になるテーマです。例えば、今回、物語絵の「引目鉤鼻」を問題にされていましたが、それであるなら同時代の浮世絵の表現はどうなのか触れる必要があります。私は今、本務校の縁で「新版画」運動(大正・昭和の浮世絵復活運動)の中心人物、川瀬巴水・伊東深水等の画業にも若干関わっていることがあって、浮世絵の歴史をおさらいしているところですが、浮世絵において「顔」が個性的になってくるのは明治以降で、小林清親や巴水・深水の師匠であった鏑木清方あたりではないかと思います(何を持って個性と言うかは問題ですが)。面白いのはその清親や清方が活躍したのは明治中後期、ちょうど西鶴が再評価される頃です。恐らくその頃に日本人の「顔」への意識が抜本的に変化し、その認識が西鶴を再評価する動きへ促したのではないかと思います。

いずれにしても、この「顔」問題(平林さんは「顔論」と言っておられましたが)は極めて誘惑的です。ご存知のように、近世文学は資料の発掘・紹介・批判がいまだに主流で、それは石油が沢山ある国と同じで慶賀の至りですが、西鶴のように、ほぼ基礎的資料が出揃ったものに関しては、どんどん近世を飛び出して他の時代、他の学問分野、他の国家・民族との比較・交流を行わないといけません。

なお、研究会当日に、平林さんの研究史整理に対する批判(いささか恣意的でないかという)が出て、平林さんご自身も反省の弁を述べて居られました。これは私なども留意すべきこととして再認識した次第ですが、先人や同胞の研究を歴史的にどう評価し位置づけるかは重要な作業で、このこと自体に怯んではならないと思います。平林さんにはいずれ大きな視点からの研究史整理を試みていただければと思った次第です。

なお、次回の研究会は、2017年3月27日(月)と決まりました。発表者はまだ決まっておりません。奮ってご応募ください。    (以上)