南氏のご発表について(有働裕)

 先日の南・石塚論争について私も何か書かないと、とは思ったのですが、困りました、染谷さんがうまく書きすぎましたね。役者のことといい、長崎屋の内証といい、お二人とは別の角度からの、説得力ある切り込みです。
 もう私は細かい考証は苦手。思い切ってこの作品の構造を図式的に考えてみました。お粗末ながら、以下の通りです。
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 『万の文反古』は通常の書簡体小説とは異なった構造を持つ。

 物語・小説にはそれぞれに固有の語りが存在している。ほとんど語り手の存在を意識させないようなものがある一方で、恣意的な認識や不必要なコメントを発することであえて語り手の存在を現前化させる語りもある。その性格の違いが、聞き手(読者)の立ち位置を左右する。つまり、語り手がどのような形で現前化されてくるかによって、読者の立ち位置、すなわち、「作品に内包された読者」の席が定められていくことになる。
 読者側のコンテクストの問題を捨象して単純化するなら、上記のようなことが一般化できるだろう。

 『万の文反古』の手紙の書き手を上記のような語り手の一変種としてとらえればどうなるか。序文や評文の記述、あるいはその手紙の叙述そのものの性格によって、読者は書き手の思いを正面から受け止める席から追い立てられているといえる。手紙の書き手(差出人)も受け取り手(宛名に記されている人物)も、読者にとっては未知の他人である。巻二の二「京にも思ふやうなることなし」を例にするなら、筋違いでまとまりの悪い懺悔が熱心に書き綴られているからこそ九平治の顔が現前化され、読者はその表情を冷ややかに眺めることとなる。と同時に、仙台に残された女房の表情をもあれこれと推測する誘惑にかられることになる。

 書簡体小説といっても、リチャードソンの『パミラ』や近松秋江の『別れたる妻に送る手紙』などとは全く異なっている。書簡の書き手からも受け取り手からも距離を置いた席が読者に用意されていることこそが、『万の文反古』の特色だと私は考える。

 巻一の四「来る十九日の栄耀献立」の場合は、今少し複雑だろう。この手紙に先立って呉服屋次左衛門から長崎屋の手代八衛門に出された手紙―便宜上これを書簡Aと呼ぶ―が存在したことになっている。そこに記されていた接待の詳細は、賑々しく「役者子ども」をそろえ、野暮なまでに贅沢な料理を並べた、「けつかう過」るものであったことは間違いない。確かにそれは「栄耀」なものであった。それに対する八右衛門からの返信が、本章の本文―これを書簡Bとする―であった。読者は書簡Bのなかに記された断片的な情報から書簡Aの内容を想像し、また、書簡Bの行間から八右衛門の本心を読み取ろうとする。さらに、呉服屋次左衛門の苦悶の表情も想像する。もっとも染谷氏の指摘通り、八右衛門と長崎屋主人の思いとが一致しているのかを疑うこともできるが、そこはひとまず考えないこととする。

 書簡Aと書簡Bの文面が、次左衛門と八右衛門のそれぞれの表情を現前化させる。それを当事者たちとは無縁の立場から眺めることができるからこそ、読者は面白く読むことができる。基本的にはそのような構造を有した一章だと私は考えている。

 『近世文芸』97号に掲載された南論文は、野暮なほどに過剰な接待を列挙した書簡Aに対して、「茶懐石」に象徴される洗練された高踏的文化からの批判を下したのが書簡Bであり、呉服屋には融資できないという八右衛門の本音を暗示したものととらえた。次左衛門の申し出を「無用に候」と拒絶する八右衛門の返答内容は、タイトルの「栄耀」とは矛盾するものの、呉服屋との文化的高低差を見せつけるものであり、ある種の「教育」的な側面さえ有していると理解した。

 それに対して、『近世文芸』100号に掲載された石塚論文は、書簡Bで八兵衛が要求しているのは質素な「茶懐石」ではなく、文字通り手間のかかる「栄耀献立」であったとする。その論拠は多岐にわたって示されているが、その大前提はこれが「舟あそび」の献立であって、茶会を目的とするものではない、というところにある。これだけの料理を船上というという調理環境において求めること自体が、無理無体な要求であったはずだと反論した。

 さて、そこで去る三月二十四日の西鶴研究会である。

 南氏は、石塚氏が論拠として示したものを一つひとつ検証していく形での反論を試みた。石塚氏を前にして、はぐらかしや視点ずらしなどない、真正面真っ向勝負であった。

 南氏は「大汁」「膳のさき」「椙焼」などの語意を再考証して、それらは「茶懐石」における一般的なものであったとする。「茶懐石」の料理は素材の質の高さや客への心づかいを重視するもので、質素ではあっても粗末なものではないとし、また、「舟あそび」は文人墨客にとって憧憬の対象であることから、茶会との関わりの深さを強調した。

 質疑応答に入ると、石塚氏からの多数の論拠を示しての反論が続き、何ともスリリングな展開となった。正直なところ「茶懐石」とも「本膳料理」とも無縁な貧弱な食文化体験しか持たない私には、その是非を判定する資格がない。ひたすらお二人の博識さに感心するばかりであった。ただ、書簡Aに記されていた接待の内容が、俗っぽくも贅沢な内容であり、呉服屋が長崎屋に融資等の便宜を求める手だてであったことは間違いない。その意味では間違いなく「栄耀」な献立が前提になっている。

 問題を単純化するならば、その返信となる書簡Bの内容を、量より質の茶道文化でやり込めたと南氏のように理解するか、無理難題を押し付けて困らせたと石塚氏のようにとらえるか、ということになろうか。この二人の読者の前に現前化した八右衛門の表情は確かに異なっていた。

 しかし当日出席した多くの方々が感じたことではあろうが、本章全体の三分の一に過ぎない献立部分のみで、そこまで読み切ってしまってよいものかどうか。『近世文芸』紙上での論争を、他の記述との関連でもっと発展させてほしかった。

 書簡B、すなわち八右衛門の筆致は、返事の遅れたことを詫びながらも、たまたま十九日が開いていたことを「貴様御仕合に御座候」と誠に押し付けがましい。次左衛門が良かれと思って呼ぶ「碁打ちの道庵」や「役者子ども」を拒否しておきながら、こちらからは按摩、針立、笛吹、ひょっとしたら「牢人の左太兵衛」も連れていくかも、図々しい。御座船に湯殿まで命じておきながら、「夜の仕立て」は拒否。前日の十八日には八右衛門自ら呉服屋を訪れ、「御内談」するというが、そこで話されるのは接待のことばかりではあるまい。次左衛門が本当に聞きたい返答は、舟遊びの前日まで不明のまま。そんな不安な心理状態の次左衛門に、以前もらった羽織の不備を訴えて手直しを要求して文面を結ぶ八右衛門のいやらしさ。

 こういった記述が献立についての指示とどのように響き合うのか。語釈や料理の考証に加えて、ぜひとも踏み込んでもらいたかった。その点は、今後に期待したい。

 圧倒的に優位な位置にある長崎屋の八右衛門が、呉服屋の次左衛門を一方的に痛めつける、という構図は、次左衛門に感情移入して読むとしたら不愉快この上もないものであろう。だが読者の席は別に用意されている。「塵塚のごとくなる中」(序文)から偶然に拾い出した自己とは無縁の手紙を、差出人と宛名の人物の表情をあれこれと推測するというように。
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 とまあ考えてはみましたが、少々理屈っぽくなりすぎましたかね...。

コメント

染谷先生、有働先生、木越先生、おまとめと新視点のご提示ありがとう存じます。
仰せのごとくダイナミックな「読み」への展開を席上できましたならば、さらに研究会としても内容の濃いものになったかと存じます。
初めて『近世文藝』におとりあげいただいた小論がかくも注目されましたことは望外のことでございました。