第21回・西鶴研究会(2005年8月26日(金)午後2時~6時、青山学院大学 総合研究ビルディング 10階 第18会議室)

◇『好色五人女』の「恋」の再検討―自己愛の物語としての読み
愛知淑徳大学(非)
早川由美

 『好色五人女』の読みの可能性について私見を述べさせていただきたい。
 次回の本のテーマが江戸のラブストーリー関係になるという中で『五人女』について発表させていただくのは袋だたきにあいそうで恐ろしい気もするが、新入会のごあいさつ、話題の提供ということお許しいただきたい。
 広嶋進氏が巻四・八百屋お七についての発表をされ、すでに論文にもなっている。恋愛とか封建制への抵抗といった従来の読みではないものが他の巻についても十分考えられよう。
 すでに指摘 されていることであるが、『好色五人女』は構成上、巻一と五、巻二と三が内容に関連を持ち、構成上の共通項として内部に対立関係が見られることも知られて いる。今回は、それぞれの女性達の紹介の文章の描写方法と物語の展開との関連性が見られることに注目して論を展開してみようと考えている。巻一と五は過去 に起こった事件であり、二人の娘の美しさは遊女や月と比較して描写されている。その二人が恋した男は室津の遊女に死なれた男と、花にたとえられる若衆に先 立たれた男である。巻二と三は比較的近い時代の人妻の密通事件であるが、この二人は巻一・五と違って容姿が比喩ではない描写のされ方をしている。また、社 会適応能力の高さが讃えられ、町人の「ありたき」女=理想的な女と書かれている。他者からも評価され、自分でもそうした生き方に満足していたであろう彼女 たちは、そのプライドを傷つけられた怒りによる対抗意識から不義の道へ踏み込んでいく。
 巻一・五の 娘と巻二・三の人妻の四人の描写を眺めていくと、共に自意識の高さが描かれている。彼女たちを許されない「恋」という無謀な行動へ突き動かしていくのは、 男への愛情の前に美しく完璧な自分への自己愛があったのではないだろうか。それは社会に対する反発よりもずっと自己に根ざした根源的な思いともいえる。自 らの美しさや有能さは、他者という世間からの評判評価で確認されているのであるから、これらの巻が対抗すべき相手を想定しての恋として描かれているのは、 他者が自己を映し出す鏡であり、その比較でしか自己を認識することができないためであろう。
 しかし、そ れは対抗すべき相手があいまいな巻四にも共通して言えることではないだろうか。、お七は自らの死の後も男の自害を阻止し、自らの菩提を弔わせて腕の中へ絡 め取ろうとしていくのである。その意味で彼女は自己完結して死んでいったのではないか。『好色五人女』とは自己愛に満ちた女の物語であるとまとめることが できる。そうした美しい女達の行動論理は『好色一代女』や『本朝二十不孝』の中にもうかがうことができる。『五人女』は恋情や色情に流されたのではなく、 自らを愛し、「恋」という手段で自己実現した女を描いているという読みが可能なのではないかと考えている。様々な読みの可能性を持つ作品であることを再認 識しながら、当日お話させていただきます。

◇教材としての西鶴-『本朝二十不孝』を例に-
堀切 実

 いま、古典教育の未来は閉ざされている。そこで数年前、『月刊国語教育』に「読み替えら れる古典」と題して、古典は現代に生きるものでなければならないことを前提に、若者たちにインパクトを与えられる教材という見地から、入門教材の見直しを 提言した。その際、最も念頭にあつたのは西鶴である。  教科書の中の西鶴について調査したところ(藤原マリ子氏全面協力)、戦前の教科書では大正期に三 点のみ、戦後は一時期飛躍的な拡大化をみせるが、一九九三年頃を境に大幅に縮小され、現在では『永代蔵』『諸国咄』『五人女』だけである。『国文学』など の商業誌が西鶴の教材化を扱ったのは一九五七年以後、皆無である。
 今回は古典入門教材として『本朝二十不孝』をとりあげ、ごく大雑把な教材化試案を提出 する。学習のねらいを、○西鶴の描いた人間と現代人の生き方を重ねる、○今日では死語となつた「孝」「不孝」の問題を現代社会の視点からとらえる、○ス ピーディな文体のリズムの魅力を味わう、と総括し、「まことに心は善悪二つの入物ぞかし」(『懐硯』)をキーワードに、東西の悪の哲学を代表する荀子の性 悪説とカントの倫理学を借りて、西鶴の描く人間悪を分析したい。具体的には「今の都も世は借物」「大節季にない袖の雨」「親子五人仍書置如件」「枕に残す 筆の先」を例に私見を述べたい。当然西鶴戯作説の是非にもかかわってくる。

◇合評、広嶋進著『西鶴探究』

 昨今、会員諸氏の論文集が相次いで刊行されている。それらの批評については学会誌 の書評欄でも取り上げられているが、研究誌数の上からも、紙幅の上からも限定されたものでしかない。そこで合評会を行うことで、著者の提示した問題点を多 角的に検討してみたい。それは従来いささか野放図にされてきた感のある、西鶴の研究史をどう叙述し後進への指標とするか、といった問題にも関わると考えら れるからである。そこで、第1回(とは言え不定期ですが)は、2004年7月にぺりかん社より出版された広嶋氏の該書について合評を行いたい。まず著者で ある広嶋氏に20分ほど補足説明をしていただき、後に自由討論に入る。会員諸氏には該書の精読と問題点の整理を事前にお願いしておきたい。(染谷記)

○司会は前回発表者の予定です